ビットコインは何回死ぬのか──ナラティブの死と、そのあとに残るもの
何度死んでも、そこにある
「ビットコインは死んだ」という宣告は、これまで何度も繰り返されてきた。半値になり、数倍になり、また崩れる。それでも、価値をゼロにしたまま消えたことは一度もない。突き詰めれば、どこかのコンピューターに記録されたデジタルデータにすぎないものが、経済的な価値を持ち続けている。この一点が、ビットコインという現象の核心にある奇妙さだ。
貝殻も、貴金属も、紙の証文も、それ自体は食べられもしないし、これといった実用性もない。人間が「これは価値がある」と合意したから価値を持ったのである。ビットコインが成し遂げたのは、その合意の対象を、ついにデジタルデータへと拡張したことだ。触れることも、印刷することも、金庫にしまうこともできないものを、人類は貨幣とみなすようになった。
人工的な自然物
私はこれを「人工的な自然物」と呼びたい。人間が設計し、コードとして生み出したものでありながら、いまや誰の意志によっても止めることができない。中央銀行のように総裁を更迭することもできず、企業のように解散させることもできない。しかも発明者はすでに姿を消しており、そのスキャンダルを暴いて権威を傷つけようにも、標的すら存在しない。ビットコインは創造主から切り離され、岩や川のように、ただ在るものになった。
そして、この性質こそが、ビットコインをナラティブ(物語)の尽きせぬ源泉にしている。ひとつの物語が色褪せ、剥がれ落ちても、しばらくすると別の物語がその上に立ち現れる。自然物が人間の解釈を受け入れながらもそれに支配されないように、ビットコインもまた、投げかけられた物語を吸収しながら、そのどれにも還元されずに存在し続けている。
物語の墓場
では、これまでどんな物語が与えられ、そして死んだのか。
デジタルゴールド。 国家に属さず、危機のときに資金が逃げ込む避難資産だという物語だ。だが戦争と制裁と資産凍結の脅威が揃った近年、逃避資金が向かった先は金だけだった。金は史上最高値を更新し、ビットコインは半値以下に沈んだ。避難先が実際に求められた局面で、資金はビットコインに向かわなかった。安定を欠いたまま避難機能だけを主張していた物語は、成立しなかった。
インフレ・ヘッジ。 通貨価値の下落から資産を守る盾だという物語だ。だが2022年、米国のインフレ率が9%を超える本物のインフレが到来した局面で、ビットコインは資産を守るどころか真っ先に投げ売られ、ハイテク株と連動して7割超下落した。守るはずの瞬間に、最も大きく減価した。
クリーンエネルギーの起爆剤。 マイニングは、捨てられていた再生可能エネルギーの電力をカネに変え、クリーンエネルギー普及の受け皿になるという物語だ。前提の一部は事実で、欧州の一部の国だけでも、年に数十億ユーロ分の再エネが送電網の都合で捨てられている。マイニングはその余剰電力の買い手になる、というESGの時代にふさわしい正当化だった。だが、この物語を崩したのは規制でも暴落でもなく、新しい登場人物だった。AIである。生成AIの計算需要が電力そのものを奪い合う時代が来ると、物語の担い手であったはずのマイナー自身が寝返った。ある大手業者はマイクロソフトと年間19億ドル・利益率85%という計算力の供給契約を結び、いまやマイニング業界の収益の3割がAI由来だ。マイナーは電源と施設を、より儲かるAI向けの計算力へと転用し始めた。しかも致命的なのは、仮にこの物語が成立しても、ビットコインの買い手は一人も増えないことだ。安い電力はマイナーの懐を潤すだけで、価格を支える需要にはつながらない。
価値のインターネット。 情報がネットを国境なく流れるように、価値もまた自由に流れるという物語だ。ビジョン自体は当たった。価値はネットワークの上を流れ始めた。だが、その配管を実際に流れたのはビットコインではなく、ドル建てのステーブルコインだった。象徴的なのは、ここでもAIが顔を出すことだ。AIエージェント同士が自律的に決済し始めた最先端の現場ですら、取引の98%以上はドル建てのステーブルコインであり、ビットコインではなかった。値動きの激しさが決済通貨として不適格で、安定を必要とする決済の座は、ドルに連動する通貨が埋めたのである。
物語は次々と死んだ。だが、そこにあるものは死ななかった。いくつもの墓標が並んでも、ビットコインはただそこにある。
物語はどこから来るか
死んだ物語には、共通点がある。すべて「金融」の物語だったことだ。値上がり、避難、分散、予測——投資の言葉で語られた期待が、市場の検証で一つずつ剥がれ落ちた。
だが、いま静かに立ち上がりつつある最新の物語は、金融の外から来る。地政学からだ。
「つながれば平和になる」という夢の終わり
戦後の世界は、ひとつの設計思想の上に建てられた。「国同士を商売で深く結びつけてしまえば、戦争は割に合わなくなる」。相互依存は平和の保証である——この信念は、半世紀にわたっておおむね機能してきたように見えた。だからこそ世界の決済は、ニューヨークのドル決済網やSWIFTといった少数の関門に、効率を求めて集中した。蛇口を締めれば締めた側も損をする、だから締められることはない。全員がそう信じていたからだ。
2022年、この思想は二重に反証された。第一に、ヨーロッパ最大のエネルギー供給国だったロシアが、それでも戦争を選んだ。相互依存は、戦争を止めなかった。第二に、より深く——欧米はロシア中央銀行の外貨準備、およそ3000億ドルを凍結した。平和のために張り巡らせたはずの配管が、そのまま相手の首を絞める道具になったのである。結びつきの深さは、安全の保証ではなく、人質の大きさだった。
ルールが書き替わった。「つながりは資産である」から、「つながりは、いつでも武器に変わりうる脆弱性である」へ。そして、一度使われた武器は忘れることができない。蛇口が締められるところを一度でも見た世界は、見る前の世界には戻れない。いま世界中の国が、静かに保険を掛け始めている。
求められる条件──世界が必要とし始めたもの
ここで、世界が必要とし始めたものを、商品名を出さずに、その条件だけ書き出してみたい。誰の司法権にも属さないこと。凍結も没収もできないこと。国家規模の金額を動かせること。移転が速く、最終的であること。発行者の裁量で価値を薄められないこと。要するに、「敵同士でも受け渡しでき、誰にも止められず、国家規模で動く価値」である。
金はどうか。発行者がなく、誰の負債でもなく、5000年の実績がある。だが金には、物性に由来する二律背反がある。自国に置けば凍結されないが動かせず、外国に預ければ動かせるが、金庫の管理者という蛇口が復活する。ドイツが674トンの金を本国へ戻すのに4年かかった事実が示すように、年間数百億ドル規模の決済を金塊の輸送で行うことはできない。中央銀行の金購入は、問題の解決ではなく症状だ。答えが存在しないから、条件を半分しか満たさない次善の策に殺到しているのである。
ここで、先ほどの「価値のインターネット」を思い出してほしい。日常の決済を制したのはドル建てのステーブルコインだった。だが、それはこの条件には答えられない。ドルに連動する以上、発行国が蛇口になり、凍結もされうるからだ。日常の送金と、国家が敵国とのあいだでさえ止められずに動かせる送金とは、まったく別物なのである。 前者はステーブルコインが埋めた。後者は、空白のまま残されている。
墓標の上に立つ、次の物語
この条件に、既存の候補を一つずつ照らしていくと、奇妙なことが起きる。各国通貨は「発行国が蛇口になる」ため失格。金は「保存はできるが移転できない」ため半分。日常決済を制したステーブルコインも、ドルに縛られている以上は失格。そして——誰の意志によっても止められない「人工的な自然物」だけが、条件を満たす側に残る。
止められない送金手段としてのビットコイン。これが、いくつもの墓標の上に立ち上がりつつある、次の物語だ。
そして、この物語には、死んだ物語たちと決定的に違う性質がある。前の物語の多くは、価格の上昇を約束していた。デジタルゴールドも、インフレ・ヘッジも、突き詰めれば「持っていれば儲かる」という投資の物語だった。だから相場が下がるたびに約束は裏切られ、物語は死んだ。だが「止められない送金」は、値上がりを約束しない。求めているのはただ一点、蛇口の向こうで誰かが締めようとしても、価値が動き続けることだけだ。ここに皮肉がある。ビットコインをデジタルゴールドとして失格にした性質——国家にも管理できず、誰にも止められないという野放図さ——が、この物語ではそのまま合格の理由になる。避難資産としては欠陥だった暴れ馬の気性が、検閲されない送金路としては美点に変わる。同じ一つの性質が、載せる物語を替えると、正反対の評価を返すのである。
だがこれもまた、一つのナラティブである。前のいくつもの物語と同じように、いつか検証の局面を迎え、剥がれ落ちるかもしれない。国家が本当にビットコインで数千億ドルを動かす日が来るのか、それとも別の何かがこの空白を埋めるのか、いまはまだ誰にも分からない。だが、物語がどれだけ生まれ、どれだけ死のうと、その下で問われ続けているのは、たった一つの問いだ。誰にも止められない送金は、存在するのか。そして仮にこの物語すら死んでも——物語は死ぬが、そこにあるものは死なない。ビットコインはただ、そこにあり続ける。何度「死んだ」と宣告されても、次の物語が自分の上に立ち上がるのを、静かに待ちながら。